第2回の今回は、国立極地研究所に計3回出向し、南極地域観測隊参加を経験されたベテラン「桑原新二」さんにお話を伺ってきました!
今回のインタビュアーは山本と朝妻で行なっていきます!
前回の古見さんにはお聞きしなかった当社の雪上車についてもインタビューしてきました!
桑原 新二
1986年入社。サービス営業部にて、サービス分野のエキスパート職と課長職を兼務。
長年にわたり当社製品のアフターサービスに携わり、豊富な技術知識と現場経験を有する。
1992年、2003年、2009年の3度、南極地域観測隊に参加し、雪上車の整備・保守を担当。
通常の業務以外にも南極活動に関する社外公演活動でも活躍している。
山本 拓実
2020年入社。入社後は車両設計に従事し、現在はより多くの経験と知識を得る為、製造設計2課に所属し、当社環境製品の機器設計として活躍中。
朝妻 太一
2021年入社。入社後、経理課や業務支援課にて社内の支援を中心に業務に従事。現在は、南極を含めて当社広報担当として情報発信においても活躍中。
山本:今回は桑原さんにお話を伺っていくということで、いくつか質問をさせていただきながら進められればと思います。
それではよろしくお願いいたします。
桑原:よろしくお願いいたします。
山本:桑原さんは今まで何度南極に行かれたのですか?
桑原:34次、45次、51次の全3回です。
山本:結構期間を空けて参加されてるんですね。
34次と51次で17年ほど間が空いていると思うんですけども、その中で変化したことだったり、印象に残っていることはありますか?
桑原:そうですね。34次のときは、基地の生活環境もそんなに良くなくて…
例えば、基地の生活の主要部である食堂や、お風呂などと、自分が寝る個室との間は一応通路はあるんですけど、外気温と同じ空間の通路で。
その通路を通らないと必ず自分の寝る部屋に帰れないっていうような環境だったんです。
朝妻:それは南極という極地ではだいぶ厳しい話ですね。
桑原:そうなんです。ですが、45次に行ったときは、その生活の主要部と自分の部屋までもずっと常温というか、普通の温度の状態で保たれた通路も完備されてたので、非常に生活しやすくなりましたね。
山本:わずか9年間(34次から45次の間)で、そこまで環境が大きく進歩し、良くなったということなんですね。
以前、古見さんにお聞きしたときは、もう最近だと日本にいるのとそんなに変わらないような環境で生活ができるっていうのをお聞きしたんですけど、51次だとそこまでではなかったといった状況だったのでしょうか?
桑原:そうですね。例えば携帯電話などは、大分環境が整ってきていると思います。ただ、45次や51次の頃と同様に衛星回線を使用するのは変わりが無く制約があるため、現在でも隊員個人が国内と自由に電話通話を行うことは困難です。
一方で、無線LAN環境を利用した使い方が可能なので以前とは大分変わってきているようですね。
山本:桑原さんが南極に行かれた際の大原の車両についても聞かせて下さい。
桑原:当時の主力車両はまだ「SM50S」でしたが、「SM100S」が導入され始めた時期でした。
私が参加した第34次隊でちょうど3台目のSM100Sを持ち込み、「極寒の時期にSM100Sのみで内陸旅行を行う」という試みを初めて実施したんです。
山本:「SM50S」は「SM100S」に比べてかなり狭かったと記憶してるんですが、実際どうでしたか?
桑原:そうですね。「SM50S」だと寝るには十分な空間はあるけど、さすがに中で食事とかはできないので。
生活空間っていう意味では、だいぶ違いますよね。
山本:じゃあその後、どんどん「SM100S」の数が増えていったって感じなんですね。
桑原:そうなります。
山本:自分が入社する前の話なので知らないんですけども、「SM100S」もマイナーチェンジとかを繰り返していって、内装とかもどんどん変わっていったりはしたんですか?
桑原:そうですね。1号車なんてほんとに試作車で形も若干違ってました。
あと窓ガラスですね。今はもう2重窓が当たり前になっていますが、当時はまだ採用されてなかったんです。
例えば、1、2、3号車が揃った時点で、向こうでいう冬の時期に内陸旅行をして、その時に、もうマイナス50度台がずっと続くような状態で行動していたんですが、やっぱり1号車と3号車では、車内の暖かさがもうまるで違ってて。
例えば、行動途中に給油しないと燃料が空になってしまうので、お昼ぐらいに1回停車させて全車で給油するんです。でも、その給油の最中に1号車は水温計がもう一番下まで下がってしまうんですよね。みんな外で給油作業をして体がキンキンに冷えて、車の中で暖を取りたいんだけど、水温がもう下がりきっているから暖房から冷たい風しか出てこなくて。それでも3号車はやっぱり暖房が効いていたので、そういったとこで違いは感じましたね。
山本:やっぱりそういうのは現場からの要望があったとか、大原で独自に改良を重ねたとかで変わっていったんですか?
桑原:そうですね。やっぱり隊員のフィードバックですかね。1号車、2号車を使っていた、もう引退された金子さん(大原鉄工所OB)という方が、会社に色々フィードバックしてくださって、もっと気密性が必要だとか、あと窓は2重じゃないと霜がついて見えないよとか、それでどんどん改善されていきましたね。
朝妻:そうしたマイナーチェンジによる気密性改良を重ねることで、居住環境が向上していったのですね。
桑原:そうなります。
朝妻:南極での観測は具体的にどんなものを調査していたんですか?
地層とか大気の様子を調べているといった漠然としたことしか知らなくて。
桑原:まず「気象」については、気象庁から毎年5名ほどの隊員が派遣され、24時間体制で絶え間なく観測を続けてますね。
そのほかだと地質、地学、地球物理など、いろいろなものを合わせた地圏っていう部門があって。地震観測なんかもしてます。
あと、気水圏っていう部門では、雪を調べたり、あと空気の中のエアロゾル(※気体中に浮遊する固体や液体の微粒子の総称のこと)を見たりとかですね。雪のなかでも一番有名なのは、南極大陸の氷床を掘ってアイスコアを取り出すっていう作業をやってます。そこまで行くのにうちの100Sが一番関わってる形ですね。だからうちの会社としてはその気水圏が一番関わりが深いところになります。
山本:聞いたことあります。アイスコアを掘るための場所であるドームふじのことですね。
桑原:昭和基地から1000km離れたドームふじに行くためにSM100Sが開発されたので。だからまさに、そのアイスコアを取るために作った車ってことですよね。
山本:素人目に見れば、もっと近くで取れないのかなって感じるんですけど、やっぱり何かしら理由があるんですか?
桑原:南極大陸の地表には平均で2000mぐらいの氷が積もっているんですが、それがものすごく長い年月をかけて高いところから低いところ(海側)へと流れているんです。昭和基地のような沿岸部で掘っても、いつ降って、どこから流れてきた氷かわからないんですよね。
でも、ドームふじのような山の頂上なら、氷が流れずにまっすぐ降り積もった状態で溜まっているので、そこから垂直に掘り進めれば正確に年代が特定できるんです。
朝妻:なるほど。全体が一種の氷河みたいに動いているんですね。
桑原:そうなんです。一方で沿岸部に行くと、露岩が完全に露出している部分もたくさんあって、地質の研究者などが観測に行きます。
日本みたいに植物が生い茂っていることもなく、地面の岩がむき出しの状態になっているので、地質学者さんたちは掘ったりしなくてもすぐに地質が見えるんです。
山本:南極大陸で化石が見つかって、昔のパンゲア大陸の一部だったみたいな話も聞いたことがあります。
桑原:まさにそうです。昭和基地の近くでサファイアやルビーなどの原石が見つかるんですけど、スリランカやアフリカで採れるものと年代や成分がすごく似ていて。ゴンドワナ超大陸の想像図を見ると、昭和基地のあたりとスリランカのあたりがくっついていたんですよね。ロマンですよね。
朝妻:他にはどんな調査があるんですか?
桑原:そのほかの一般的な観測だとオーロラ観測してる人もいます。部門で言うと、宙空、気象。あとは生物ですね。
南極極地にしかいない生物とかもいるんで。
朝妻:と、いいますと?
桑原:代表的なところでいうとペンギンですね。南極にしか生息していない種類のペンギンがいて、その観測をしている隊員もいます。
あと、植物はほとんどないんですけど、ごくわずかにコケが生えていて、それを研究している人もいますね。
朝妻:なんでペンギンって背中が黒くてお腹が白いんでしょうね?
桑原:以前ペンギンの学者さんから聞いた話だと、海を泳いでいる時に下から捕食生物が見上げた際、お腹が白いと空の明るさと見分けがつきにくくて保護色になるんです。逆に深く潜っている時は、上から見下ろした時に背中が黒いと暗い海と同化して見つかりにくい。そうやって保護色で生き延びた個体が交配を続けて繁栄していったと言っていました。
山本:昭和基地の近くにもペンギンは来るんですか?
桑原:来ますよ。暖かい時期になるとアデリーペンギンなんかは好奇心旺盛で、人間の近くまでピョコピョコ歩いてきます。
あとコウテイペンギンってでっかい1m強ぐらいの大きさのペンギンもごくごく稀に来る時がありますね。
他に動物がほぼいないので、隊員にとっても一種の癒しになっていますね。
山本:南極の天候はどうなんですか?やっぱり常に吹雪いているイメージがあるんですが。
桑原:夏は地面がむき出しで、気温も日本の冬くらい(マイナス5度からプラス5度くらい)で、日射が強いと結構暖かく感じることもあります。
でも冬になると周りが真っ白で、ブリザードの回数も多くなり、気温もマイナス20度から30度台、極端に冷えた日はマイナス40度にもなります。
朝妻:吹雪(ブリザード)の時はどうなるんですか?移動などはできるのでしょうか?
桑原:内陸旅行中にブリザードで視界不良になったら、もう今日は「停滞」と言って、その場で何日か待機になります。長かった時は、他の隊ですが1週間くらい缶詰になって、途中で非常食もなくなるんじゃないかっていう時もありましたね。
山本:1週間はきついですね…。
桑原:きついですね。ストレス的にもね、結構きついですよ。私が経験したのはまあせいぜい2泊ぐらいかな。それでももう何にもやることがないですし、動けないっていうのはかなり効きますね。
他にも、片道で半日くらいの拠点まで移動するときに、天気がちょっと荒れ始めた時があったんですね。当時は昭和基地以外の場所の天気予報は精度が低かったので、パーティーの中に気象隊員が2人いてその意見も食い違ってたんです。
そんな中で、自分が食事当番だったので、夕食の準備で10メートルくらい先の隣の雪上車に行こうとして外に出たら、ものすごい吹雪で自分の手の先すら見えない状態(ホワイトアウト)になっていて。
すぐそこだからと歩いて向かったら風下へ流されていて、バッと手を伸ばしたら偶然隣の車のキャタピラに掴まることができたから良かったものの、少しズレていたら車にたどり着けなかったかもしれない。その時は、本当に怖い思いをしましたね。(※現在は(基本的には)荒天時は車両同士行き来ができるように、車と車の間にロープを張って安全を確保している)
山本:南極までの移動では南極観測船「しらせ」に乗っていくと聞きましたが、桑原さんは初代と2代目のどちらにも乗ってるんですよね?
桑原:はい、ちょうど第51次隊から2代目しらせの運用が始まりました。設備自体は大幅に快適になっていましたが、内装には少し簡素な印象を受けましたね。初代しらせは内装に木材が多く使われていて、一般の家屋に近い温かみのある雰囲気がありましたが、2代目はほぼ鉄板がむき出しのため、温もりという点では欠けていた印象です。
朝妻: 船が氷を砕いて進む「砕氷中」は、船体はかなり揺れるものなんですか?
桑原:砕氷中はそんなでもないですね。連続砕氷って言って、船が航行する力で氷をバリバリ割りながら進んでいくのと、ラミング(旧:チャージング)っていう勢いをつけてガーッて氷の上に体当たりみたいにして氷の上に乗り上げて、重みで割るっていう、だいたい2種類のその砕氷のやり方があるんですけど。どっちも、海が荒れた時の揺れに比べると全然なんか揺れてるうちに入らないっていうか。ゴゴゴゴっていう振動があるなって感じるぐらいのレベルなんで。だから砕氷そのものは全然、不快な揺れとかはないです。
山本:南極に近づくにつれて、南緯40度、50度、60度付近の海域では激しく揺れると聞きました。
桑原:そうですね。私は激しく吐き戻すほどではありませんでしたが、常に胃がムカムカするような不快感と強い眠気が続いており、そういった時はひたすら眠ってやり過ごすしかありません。ただ、最後の激しい暴風域を抜けてしまうと海はかなり穏やかになります。周囲に氷山が見え始め、南極らしい風景が広がってくると、船はほとんど揺れなくなります。
山本:オーストラリアから南極まで3週間かかると聞きましたが、乗船期間中、船内での業務などは発生するんですか?
桑原:到着後の作業を円滑に進めるための関係者とのミーティングや書類の整理、すでに現地に滞在しているメンバーと通信で情報交換を行ったりといった調整作業が主にありましたね。
山本:南極に初めて着いた時の第一印象ってどんな感じでしたか?
桑原:初めて着いた時は、雪もあんまりなくて土がむき出しになっていて「どこかの山の中の工事現場」みたいな雰囲気でした。
観測船「しらせ」からヘリコプターで昭和基地のヘリポートに着いて、そこから宿舎までは前の隊の人が運転するトラックの荷台に荷物みたいに乗せられてガタガタ揺られながら行くんです。ほんとに田舎の工事現場で働かされている人みたいな感じでしたね(笑)。
朝妻:休みの日は何をして過ごされていたんですか?
桑原:休日日課でも大抵は何かしら仕事をするんですが、余暇の時間にはスキーをやっている人もいましたよ。
山本:南極でスキーですか!?
桑原:雪と斜面はいっぱいあるので、自力で登って滑るんです。リフトなんてものはないですからね。ただ、パウダースノーみたいなのはなくて、ブリザードの翌日はカチカチの氷みたいになっているので、よくこんなとこで滑るなとは思ってましたけど(笑)。
あとは、いろんな隊が持ち込んだ本が書庫にいっぱいあるので読書したり。ネット環境も良くなってきてはいましたが、通信枠が限られていたので重いデータのやり取りなどは厳しかったですね。
山本:南極で1年間一緒に過ごすと、隊員同士の絆も深まりそうですね。
桑原:そうですね。現地にいる時は毎日同じ顔を合わせるので仲が悪くなることもありますけど、日本に帰ってくると不思議と仲良くなったりします。
実はこの前の土日も、サッカーの試合を観に奈良に行ったら、現地の蕎麦屋さんで45次隊の時に一緒だった人が実家を手伝っていて。お互いに「なんでここにいるの!?」ってびっくりしたことがありました。まさに一生の同級生みたいな感覚ですね。
山本:過酷な環境を共に乗り越えたからこその繋がりですね。
古見さん今回はご協力いただきありがとうございました!
本HPでは今後も実際に南極に赴いた社員にインタビューを行い、更新していく予定です!